「できない」や「ならない」にこそポスト・スマホの商売がある

先日買った Amazon FireTV Stick(¥4980) の画質に驚いている。

50インチテレビで見ても地上波との画質に差がない。

6台のNASと5台のHDDに6500タイトル程録画してきたが、これからはニュース等の時代の風景を残す以外はVODで済みそうだ。

規格などがなかなか決まらない4K/8KではVODが主流になり、サイマルが始まればテレビは丸ごとネットに変わることになるだろうと思い知らされた。

FireTVの上位版ではH.265/HEVCのデコーダまで搭載されているが、当然これらはスマホ用部品の流用。

流行りのIoTにとどまらず、車の自動運転やスマートホームにもその部品は使われるから、日常接する殆どの耐久消費財はスマホ化する、

そして、あらゆるコンテンツがファイル化されるというのは、すでに確定路線で、足踏みなく、社会のど真ん中を進んでいる。

しかし出版やアパレル等がスマホに揺り動かされる事は間違いないが、スマホが靴下やマフラーに代わる事はできない。

また出版の根幹は作家や編集者の哲学だと思うが、人間はこれをコンピュータに渡してはならない。

つまり「できない」や「ならない」にこそポスト・スマホの商売があると思っているのだが、スマホの時代がいつ終わるか、それは、それほど遠くないかもしれないと思っている。